前もって宮内庁に申し込んでいたので
天候に左右されるわれわれの業務の流れからすると
「なんでこの日に…!」
…と歯噛みしてしまうような日程ではありましたが、
そこはそれ
忙中有閑
ということで
行ってまいりました 桂離宮。
粛々と手続きを済ませ、
存外にフレンドリーな宮内庁職員の方に案内していただき
いざ庭への導入部へ。
↑この生垣がいいんです。
すべてを一望のもとに見せない。
足元は石を丹念に敷き詰めてあるので
砂利敷きとは違って 歩きやすく 美しい。
「あられこぼし」という手法です。
十数年前にも訪れているのに
そのときはそのときで感動したはずなのに
ディテールはおぼろげにしか覚えていませんでした。
徐々に 「あぁ これこれ、この感じ!」と
印象が蘇ってきたり
「え? こんなでしたっけ⁈」と新たな発見があったり。
確か 以前は全面的に写真撮影禁止で
それ故に 記憶が曖昧になっていた気もいたしますが、
いつからなのか
撮影はどこでもOKになっていて
うれしいような
ありがたくも もったいないような。
庭師さんが「あられこぼし」の補修中。
特にセメント的なものでひとつひとつ固定している訳ではなく、
形の合うものをじっくり選んで嵌めてゆき
上から槌で叩いて収めていく作業です。
この手法なので
桂離宮の見学者はハイヒール厳禁となっている訳です。
庭内の蹲(つくばい)の意匠は
いずれもお酒にゆかりのあるものと伺いました。
上の画像のものは 枡ですね。
下のは…わかりません!
臼かな?
茅葺き屋根を軒下から見上げたところ。
かのプチトリアノンにも通ずるものがあるような。
松琴亭の茶室に付随する水屋。
排水装置はこんな感じ。
モダンな意匠の数々は さすがに記憶に残っておりました。
笑意軒の窓からは
樹木越しに水田が見える趣向。
かつては広大な田園風景が広がっていたそうですが
今は宮内庁が買い上げた土地に稲を植えて
風景を演出しておられるとか…
笑意軒の襖の把手は
舟を漕ぐ艪の形であったり
弓矢を象ったものであったり
月波楼の
もみじを散りばめた襖に糸巻の把手。
「妹背山婦女庭訓」をイメージしてしまいますね。
天候に恵まれたこともあり
今回感じたのは
「空や木々などを映し込む鏡面」としての水の役割です。
明るい光の増幅 と 揺らぎ。
日頃 あまり意識されることはないかもしれませんが、
水鏡という要素を庭に取り入れることの効果は計り知れません!
「月の桂」の故事を思うと
水面に映る月を愛でるためでもありましょう。
すぐ近くを流れる桂川の水面も
この通りの素晴らしさ。
この眺めに触発された部分があるかもしれないと
想像してしまいました。
しかし この桂川、
しばしば氾濫を繰り返してきた歴史があり
その氾濫した水が離宮にまで及び、
この高さまで水嵩が増したという跡が
松琴亭の壁の中程に残っていたりもします。
人間が御することのできない 荒ぶる自然に対峙して
幾たび 途轍もない無力感に襲われてきたことか…
現代とは比較にならないほど
畏怖の念は強かったでしょうから
尚更
恐れながらも
愛でられるときには愛でようという
透徹した思いが感じられた次第です。